第4章 センター
「とりあえず、渡はグニュウの相手でもしといてくれ」
ルーキオはそういうと、電話のような機械を持って話し始めた。どうもセンターに連絡しているようだ。一方渡は、目の前のふわふわの生き物を前に、緊張していた。
「ニュウ?」
グニュウは、渡の指を熱心に見つめていた。さわってみたいらしいが、なにしろ初めての相手だからか、警戒しているようだった。モコにやった時みたいに手のにおいをかがせたらいいかも……と思ったが、少し迷った。生き物のことは相変わらず好きだったが、自分が生き物に関わるとろくなことがないような気がしていたからだ。
渡は、グニュウからそっと距離を置こうとした。ところが、グニュウのほうから、渡の指に近づいてきたので、渡は手をそのままにせざるを得なかった。
「ウル! ルルリ!」
グニュウが手を開いてみせてくるので、渡は真似をしてめいいっぱい手をひらいた。
「こう?」
「ルウ! ララルル!」
グニュウが小さな手を床につけた。渡は真似をして、テーブルの上に指を置いた。
「グ!」
グニュウは満足気に、渡の指の間をポンポンはねて遊び始めた。
「ルッ! ルッ! ルッ! ニュッ!」
まったくみごとな跳ねっぷりだ。渡が感心して見とれていると、グニュウは気をよくして、更に素早くはねまわった。
「ははははは! うまいぞ、グニュウ! ところで、ポコルンは来ていいってさ。でも、どうやって行く? 自転車か?」
「そうね。でも、この自転車、二人までよ」
「うーん……」
ルーキオは低くうなった。それから少し考えた後、ポンと手を打った。
「じゃあ、おれが小さくなるよ」
ルーキオはどんどん小さくなって、初めて会った時くらいの大きさになった。グニュウはまだまだ跳んでいたが、ネルルがやさしくそれを捕まえた。
「ニュウゥ……」
「またあとでね」
グニュウはまだ遊び足りないようだったが、仕方なくあきらめた。ネルルにとびつくと、肩に掛かっていたポシェットの中にもぐり込んだ。
ポシェットは2本の肩ひものほかに、落下防止用の綱が2本あって、ちょうど腰に取りつけられるようだ。ネルルは、開いたポシェットの口の上から透明の半球体状のカバーをかぶせようとした。ちょうど下向きにした途端、ツルッとカバーが落ちた。ところが、カバーはまるで重力を失っているかのように空中にとどまり、ほんのわずかにしか落ちていかない。
「これって……?」
「ああ、反重力物質でできているの。もし落っことしても、グニュウが怪我なんかしないようにね」
ネルルは何でもないようにそういうと、口とカバーをくっつけるジッパーを閉じた。これでグニュウが上から飛び出すこともなくなった。
「持ちあげてくれー」
足元でルーキオが呼んだ。ほんとにちっちゃくなっている。渡はしゃがみこむと、ルーキオを手のひらに乗せた。
「頭の上で頼む」
渡はおそるおそる、頭のてっぺんにルーキオをもっていった。ルーキオは、渡の頭の上をはねて、感触を確かめているようだった。一度ツルッとすべって肩に落ちそうになったが、そのままよじ登ると、渡の髪の毛を足にくくりつけた。
「これでよし」
3人は準備が整ったので、ベランダに出た。どこにも自転車は見当たらない。と思ったら、ネルルがポケットから赤い自転車を取り出した。まるで精巧なおもちゃかミニチュアのようだ。ネルルは、その自転車になにやらノブ付きねじのようなものを取り出した。ねじの先は吸盤のようになっている。その吸盤を自転車に取り付けると、自転車がわずかに光った。ネルルはノブを回していった。すると、自転車もそれにあわせて大きくなった。どうやら、科学の進歩はすさまじいらしい。
ネルルは、ベランダの角に近づいていくと、取っ手を回して内側に開いた。気がつかなかったが、一部ドアになっていたのだ。渡の驚きをよそに、ネルルはさっと自転車にまたがった。
「どうしたの? はやく後ろに乗って」と、ネルルが急かした。
渡は、後ろに乗るのは気が引けた。
「僕が運転したい」
「なにいってるの、だめよ。練習しないとうまく飛べっこないんだから。そもそも、センターがどこにあるのかも知らないでしょ」
そういわれてしまうと、返す言葉もなかった。渡は後ろにまたがると、ネルルの肩をつかんだ。
「ベルトしめて」
見ると、自転車の両端からベルトの先が出ていた。渡はベルトを引っ張り出すと、腰のところでしっかりしめた。
「しめた?」
「うん」
「じゃあ、しっかりつかまっててね」
「わかった」
ネルルがボタンを押すと、自転車はふわっと浮き上がった。ハンドルをぐいっと引っ張ると、自転車はぐんと上を向いた。
自転車は、ベランダから半分乘りだした。すぐ近くを、雲が流されていった。地面ははるか下だ。
「いくわよ」
ネルルがペダルをこぎ始めると、自転車は前へすーっと動いた。漕ぎ始めだからか、速さはそれほどでもない。
家はずいぶん高いところにあったからだろうか、自転車はなだらかな坂道を下るように、下へ向かっていった。するとすぐに、空に浮かんでいる、見たことのないようなものをたくさん見ることになった。
まず、当たり前のように岩や家が浮かんでる。それも、横倒しになっていたり、さかさまになっている。見たことのない形の乗り物が、あちこち飛んでいる。右斜め下に見える巨大な飛行物体は、サイのような動物をモチーフにしているらしい。
ワープホールのようなものが現れ、その中から空をサーフィンして現れる男。空を飛ぶ巨大なエイ。はねる地面もないのに、びょんびょんとはねる丸い乗り物。中の人たちがはっきり見えたわけではないが、人間だとわかる人の方が少ないのではと思うほど、色んな姿に変身していた。
ふと、自転車が影に包まれた。見上げてみると、こちらに来た時に見たクラゲ型の乗り物が見えた。と、その瞬間、その乗り物は透明になった。
遠くの方では、さっきベランダの近くを通り過ぎた電車が、まるで細い糸のようにスーッと走っていて、さらに遠くには海が見えた。
想像していた未来は、都会のようにもっとごみごみしていて、機械や建造物がありとあらゆる形でひしめきあっているような世界だったが、どうやら違うらしい。確かに科学技術は途方もなく進歩しているが、まるで田舎のようで、人間はせかせかしていないようだ。渡は、なんだかほっとしていた。
自転車は、一定のスピードで走り続け、どんどん下の方へと降りて行き、高層ビルの頂上ほどの高さになった。
「もうすぐよ」と、ネルルが振り返って言った。その言葉の通り、しばらくすると巨大な卵型の建物が見えてきた。薄黄色で、これまた卵型の窓がバランスよく並んでいる。だが、入口のようなものはどこにも見えない。どうやって入るんだろう? と、渡が考えていると、驚くべきことに、自転車はさらに勢いを増して建物に向かっていった。
「だめ! ぶつかるよ!」
「え?」
肩をたたいて止めようとしても、ネルルは何をいっているのか理解できない調子で、にこにこ笑っている。もう窓ガラスがすぐ目の前だ。
「わぁ~っ! ぶつかる!」
自転車はそのまま、ガーン! とガラスにぶつかった。そのとたん、ガラスはまるでジグソーパズルのピースのようにばらばらと床に散らばり、自転車はキキーッとブレーキがかかり横向けに止まった。渡は放心状態だったが、ルーキオが髪の毛をほどいたのに気がつくと、ようやくベルトをはずしにかかった。
「ごめん! 大丈夫だった?」と、ネルルがたずねた。渡はなんとかいってやりたかったが、ネルルの反省に満ちた悪気のない顔を見ると、黙るしかなかった。おそらく、こうやって入るのが普通なんだろう。
「いちいち驚いてたら身が持たないぜ」
ルーキオはぴょんと渡の頭から飛び降りると、元の大きさに戻って、ぐいっと伸びをした。
「どうせなら、強い男になれ」
「……」
渡はガラスを拾い上げて、聞こえないふりをした。
ネルルがグニュウの半球カバーをはずすと、グニュウはすぐにネルルの肩に駆け上った。次にネルルは、例のノブ付きねじを使って自転車を手のひらサイズにすると、ポケットにしまった。渡は、パズルのピースのようなガラスを観察した。文庫本くらいの厚みがあった。つまんでみるとゴムのような弾力があり、透明ガラスというよりも、プラスチックに近いような感じがする。
その時、床に散らばっていた破片が、一つ一つぶるぶる震え始めたかと思うと、浮かび上がり、ゆっくり元の位置に戻っていった。渡の持っていた破片も、手の中からするりと抜け出し、左上の空いている箇所にぴったりとはまった。渡が目を奪われているうちに、そこには傷一つない透明な板が復元され、渡の顔を映し出していた。
「お待ちしておりました、ポログレイン様」
廊下の向こう側から、白いロボットがすべるように近づいてきた。丸みのある大きな円盤の上に、雪だるまを乗せたようなロボットだ。頭の上にはしなやかなアンテナがあって、そのアンテナの先についているぼんぼんのような丸い球が、動きに合わせてぴょこぴょこ揺れている。
「ポコルン! グニュウもつれてきたよ!」
「ニュウ!」
グニュウがモモンガのようにポコルンの頭に飛びつくと、ポコルンは嬉しそうに笑った。
「お久しぶりです。元気にしてましたか?」
「ニューウ!」
グニュウは両手でめいいっぱい、ポコルンの頭をなでた。
「そうですか、そうですか! よかった! ところで、その方がお話でうかがった渡様ですか?」
ポコルンの目が、渡と合った。渡は緊張した面持ちでポコルンを見た。
「そうだ」と、ルーキオが言った。
「では、さっそくご案内いたしましょう。こちらでございます」
ポコルンは、スーッと滑るように動いていった。ポコルンに足はなく、円盤のようになっていて、驚くべきことに、わずかに浮いていた。
「道中、簡単にセンターについてお話ししたいのですが、よろしいですか?」
すると、ネルルとルーキオは顔を見合わせた。どうやら長くなるらしい。
「どうする?」
「僕は聞きたいな」
すると、ポコルンの表情がパッと明るくなった。